NHK朝ドラ「あんぱん」に登場する、たかしの弟・千尋。
明るく、聡明で、誰よりも兄思いだった彼は、物語の中でどんな結末をたどるのでしょうか?
実は、この“千尋”には実在のモデルが存在します──それが、やなせたかしさんの実弟・柳瀬千尋さん。
この記事では、ドラマの千尋の運命とともに、モデルとなった実在の柳瀬千尋さん人物の生涯をたどります。
やなせたかしの弟・千尋は戦死したの?
2025年のNHK連続テレビ小説「あんぱん」は、アンパンマンの生みの親・やなせたかしさんの人生を描いた作品です。その中で注目を集めているのが、主人公・柳井嵩(やない・たかし)の弟・千尋の存在です。
快活で成績優秀な弟・千尋は、多くの視聴者に強い印象を残していますね。
戦争の様子が描かれるあんぱんのストーリー。その背景をたどると、実在のモデルの存在に行き着きます。それが、やなせたかしさんの実の弟・柳瀬千尋さんです。
千尋とはどんなキャラクター?
「あんぱん」に登場する千尋は、兄とは対照的な、勉強もスポーツもできる優等生。明るくまっすぐな性格で、誰からも好かれる好青年です。
やなせたかしさん自身が「とにかく君はまぶしかった」と語るように、千尋はドラマ内でもその光のような存在感を放っています。だからこそ、千尋がこれからどうなるのかという展開に、視聴者は複雑な思いを抱かずにはいられません。
モデルとなったのは、やなせたかしの実弟・柳瀬千尋さん
ドラマ「あんぱん」の千尋のモデルは、やなせたかしさんの実の弟・柳瀬千尋さん。
東京で生まれ、幼くして父を亡くし、高知の伯父の家に養子に入った千尋さんは、のちにやなせさんと同じ家で暮らすようになります。
学業も優秀で、旧制高知高校から京都帝国大学へと進んだ秀才でしたが、1943年に学徒出陣で海軍予備学生として出征。そして翌1944年、台湾とフィリピンの間にあるバシー海峡にて、戦死しました。享年わずか23歳。
兄・やなせたかしさんは「僕はもうすぐ死ぬが、兄貴は生きて絵を描いてくれ」という弟の言葉を、生涯忘れなかったと語っています。
モデルとなった千尋さんが実際に戦死していることから、ドラマでも同様に“死”を迎える展開が描かれる可能性は高いでしょう。
この先の記事では、柳瀬千尋さんの足跡や、やなせたかしさんとの兄弟の絆、そして弟の死が「アンパンマン」という作品にどう影響を与えたのかを詳しくたどっていきます。
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やなせたかしの弟・柳瀬千尋とは?兄が「まぶしかった」と語った人物
ドラマ「あんぱん」で注目される千尋というキャラクター。そのモデルとなった柳瀬千尋さんは、やなせたかしさんの実弟であり、生涯を通して兄の心に深い影響を与えた存在でした。
弟・柳瀬千尋さんの生い立ちや性格、そしてやなせさんが語った“まぶしい弟”の姿をひもといてみましょう。
柳瀬千尋の生い立ち
柳瀬千尋さんは、東京に生まれました。しかし3歳のときに父を亡くし、母方の伯父を頼って高知県南国市へ。そこに養子として迎えられます。
2年後、やなせたかしさんも母の再婚を機に同じ伯父宅へ移り住み、兄弟は再び同じ屋根の下で暮らすようになりました。
病弱だった幼少期の千尋さんは、何をするにも「兄ちゃんと一緒でなければいやだ」と言うような甘えん坊だったそうです。けれど、成長とともに体が丈夫になり、背も高くなって、学業も優秀な少年へと変わっていきました。
柳瀬千尋は成績優秀、柔道二段
やなせたかしさんは、自身の著書『やなせたかし おとうとものがたり』の中で、弟・千尋さんについて
「性格も明るく成績も良く、柔道二段で快活であった」
と回想しています。
自分にはないものをすべて持っているように感じたといい、千尋さんに対して“劣等感”を覚えつつも、「それでも誇りだった」と語る言葉には、兄としての愛情と尊敬がにじみます。
まぶしく輝いて見えた弟は、まさにやなせさんにとって“ヒーロー”のような存在だったのかもしれませんね。
続いて、そんな千尋さんが進学した旧制高知高校や京都帝国大学での青春時代、そして戦地に向かうまでの道のりをたどっていきます。
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柳瀬千尋は京都大学へ
やなせたかしさんの弟・柳瀬千尋さんは、学業においても際立った才能を発揮しました。
地元高知の名門校・旧制高知高等学校に合格し、その後、京都帝国大学へと進学。その歩みは、当時の若者たちの憧れであり、誇りでもありました。
旧制高知高校に合格──兄が憧れた秀才
旧制高知高等学校は、1922年に設立された官立の高等教育機関で、現在の高知大学の前身です。
当時、帝国大学への進学を目指す学生たちにとって、旧制高校は重要なステップであり、その入試は非常に難関でした。やなせたかしさんは、旧制高知高校の受験に失敗しましたが、弟の千尋さんは見事合格。兄弟で同じ夢を追いながらも、その結果は対照的でした。
京都帝国大学へ──将来を嘱望された若きエリート
旧制高知高校での学びを経て、千尋さんは京都帝国大学へ進学しました。
当時の京都帝国大学は、東京帝国大学と並ぶ日本の最高学府の一つであり、入学すること自体がエリートの証とされていました。千尋さんは、学問に励みながらも、友人たちとの交流を大切にし、充実した学生生活を送っていたと伝えられています。
学生寮での生活──大酒飲みの一面も
千尋さんは、旧制高知高校時代に学生寮「南溟寮」に入寮していました。
寮生活では、学業だけでなく、仲間たちとの交流や様々な経験が彼の人間性を育んだことでしょう。やなせたかしさんは、弟について「相当な大酒飲みであった」と語っており、友人たちと肩を組んで電車道を歩く姿が思い出として残っていたそうです。
学業においても、友情においても、千尋さんは周囲から信頼され、愛される存在でした。
その輝かしい未来が、戦争という時代の波に呑まれてしまうことになるのです。次の章では、千尋さんがどのようにして戦地へと向かい、若くして命を落とすことになったのか、その経緯を追っていきます。
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柳瀬千尋の戦死
京都帝国大学に在学していた柳瀬千尋さんは、戦局の悪化によって、学徒として軍へと送り出されました。
優秀な学生であったにもかかわらず、戦争は彼の将来を容赦なく奪っていきます。
そして、兄との最後の別れには、のちのやなせたかしさんの人生に深く残る言葉が刻まれていました。
学徒出陣
1943年、政府は在学中の学生たちを戦場に送り出す「学徒出陣」を開始しました。
千尋さんもその対象となり、大学を離れ、海軍予備学生として出征することになります。将来を嘱望されていた千尋さんの進路は、ここで大きく断ち切られることになりました。
最後の言葉と戦死
出征前、兄やなせたかしさんと最後に会ったとき、弟の柳瀬千尋さんは「僕はもうすぐ死ぬが、兄貴は生きて絵を描いてくれ」と静かに語ったといいます。
翌年の1944年、千尋さんは台湾とフィリピンの間にあるバシー海峡で戦死しました。享年23歳──あまりにも短い青春でした。
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柳瀬千尋の“生きた証”
わずか23年でその生涯を終えた柳瀬千尋さん。しかし、彼の存在はただ儚く消えてしまったわけではありません。
今もなお、高知大学には彼の手による答案用紙や、戦時中の寄せ書きが大切に保管されています。学徒として戦場に向かった若者たちの証は、静かに、しかし確かに未来へと語りかけています。
答案用紙に残された千尋の筆跡
旧制高知高校の同窓会組織「南溟会」が高知大学に寄贈した資料の中には、千尋さんが記した世界史の答案用紙が含まれています。
「ヘレニズム時代の政治、文化の根本的特徴」について走り書きで論じたその筆跡は、今も当時の緊張感や真剣さを感じさせます。
ほかにも8人分の答案があり、そのうちの1枚は、戦没学生の遺稿集『きけ わだつみのこえ』に遺書が掲載された木村久夫さんのものだったといいます。
この答案用紙は、英語教師だった八波直則氏が1977年に寄贈したもの。なぜ保管されていたのか明確な記録は残っていませんが、「教え子たちの生きた証を残したかったのではないか」と南溟会は語っています。
参考:高知新聞
日の丸に寄せた、出征への想い
千尋さんの記録としてもう一つ貴重なのが、教授の出征に際して寮生たちが寄せた寄せ書きの日の丸です。
戦後、その教授が無事帰還し、旗は寮生に返還されたのち、現在は大学に寄贈されました。そこには千尋さんの名前もはっきりと確認でき、当時の学生たちの心のつながりと、厳しい戦時下でも保たれていた仲間意識が浮かび上がります。
こうした記録は、戦争がどれほど多くの若者の未来を奪ったかを物語ると同時に、彼らが確かに“生きていた”という事実を静かに証明しているのです。
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やなせたかしと弟・千尋の絆が「アンパンマン」へとつながる
わずか23歳で戦死した弟・柳瀬千尋さん。兄・やなせたかしさんにとって、その存在は決して“過去の出来事”ではありませんでした。
弟の死は、やなせさんの創作活動に静かに、しかし確実に影を落とし、のちに生まれる「アンパンマン」というキャラクターの根底に深く息づいていきます。
「どこか弟に似ていて、胸がキュンと切なくなる」
前述したように、やなせさんは、新聞エッセーの中で次のように語っています。
「アンパンマンを描くとき、どこか弟に似ているところがあって、胸がキュンと切なくなります」
正義のために自らの顔をちぎって分け与えるアンパンマン。命を削ってでも誰かを助けるという姿勢に、若くして戦死した弟・千尋さんの面影を重ねていたのかもしれません。
ヒーロー像に込めた優しさの根っこには、きっと“失った存在”への想いが静かに宿っていたのでしょう。
ただ強いだけでなく、やさしくて、痛みを知っている。アンパンマンの“無償の行動”には、戦争の理不尽さや、奪われた若者の未来への追悼がにじんでいます。
戦争を知る世代だからこそ描けた“やさしさ”
やなせたかしさんは戦争を経験し、敗戦後の混乱や飢えのなかを生き抜いた世代です。そして弟・千尋さんの死をはじめとする多くの喪失体験が、「ほんとうの正義とは何か?」という問いを、心の奥に持ち続けさせました。
アンパンマンの絵本が初めて出版されたのは1973年。
当時の子どもたちには想像もつかない戦争の記憶が、やなせたかしさんの中には確かに残っていました。その記憶が、“平和の象徴”としてのアンパンマンを生み出し、世代を超えて人々に愛され続ける存在へと育っていったのです。
弟・千尋さんの死が、やなせたかしという表現者に与えたものは、単なる悲しみではありませんでした。それは、誰かの命を思う気持ち、そして「弱い人を見捨てない」という哲学へと昇華され、アンパンマンの中に静かに息づいているのですね。
以上、今回は「あんぱん」に登場する千尋のモデル・やなせたかしさんの弟、柳瀬千尋さんについてお伝えしました。
優秀で明るく、兄思いだった千尋さん。ドラマではこれからどんな展開になるのか気になるところですが、モデルとなった人物の人生を知ると、より深く物語を味わえるかもしれません。
ぜひ、今後の放送とあわせて、千尋さんの生きた証にも注目してみてくださいね。
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