NHK朝ドラ『あんぱん』で描かれる、嵩の母・登美子。自由奔放でミステリアスなその生き方に、興味を持つ視聴者の方も多いのではないでしょうか?
実はこの登美子のモデルとなったのが、アンパンマンの生みの親・やなせたかしさんの実母、柳瀬登喜子さん。
今回は、登喜子さんの史実に基づく生い立ちや、母としての人生、そして晩年に至る最後の姿までをたどりながら、ドラマで描かれた登美子との共通点を読み解いていきます。
やなせたかしの母はどんな人?あんぱん登美子の史実モデル
朝ドラ『あんぱん』で描かれている母・登美子には、実在のモデルがいます。
ドラマの中では、自分勝手で少し冷たい母のようにも映る登美子ですが、史実をたどってみると、その印象が大きく変わってきます。
ここでは、登喜子さんがどんな環境で育ち、どのような人生を歩んだのかをご紹介します。
登美子のモデルはやなせたかしの母・柳瀬登喜子
ドラマ『あんぱん』の登美子は、やなせたかしさんの実母・柳瀬登喜子さんがモデルとされています。
登喜子さん自身についての記録や回想はそれほど多く残されていませんが、やなせたかしさん本人が書籍やインタビューでたびたび母について語っており、そこから彼女の人物像が少しずつ浮かび上がってきます。
史実モデル・登喜子の生い立ち
登喜子さんは、高知県上郡村(現在の高知市周辺)の大地主・谷内家の三姉妹の一人として生まれました。
父・柳内保定、母・鐵(てつ)のもとで育ち、裕福で教養のある家庭環境の中、何不自由なく暮らしていたとされます。
実は登喜子さんの兄弟には、6人の男の子がいましたが、そのうち3人が早世しています。そのため、残された姉妹たちはとても大切に育てられたといわれており、登喜子さんも例外ではなかったでしょう。
登喜子さんは地元の名門校である高知県立高知第一高等女学校に進学。華やかで着物の似合う美しい女学生として知られ、家柄の良さも相まって、数多くの縁談が持ち込まれていたそうです。
そして、登喜子さんはは在学中に豪商と結婚しましたが、その結婚は長くは続かなかったとのこと。
夫・柳瀬清との出会いと結婚
その後、登喜子さんは同郷の青年・柳瀬清さんと出会い、1918年に結婚します。
清さんは中国・上海への留学経験もある教養豊かな男性で、当時としては非常に先進的なカップルでした。
結婚後は東京で新生活をスタートし、夫婦の人生は順調に見えました。
やなせたかし(嵩)と弟・千尋を出産
結婚から1年後の1919年には長男・嵩(やなせたかし)さんが、さらに1921年には次男・千尋さんが誕生します。
家庭は4人家族となり、穏やかで幸せな日々が続くかに見えましたが、このあと登喜子さんの人生は大きく変化していくことになります。
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やなせたかしの母・登美子のその後は?別れと再出発の歩み
夫・柳瀬清さんとの突然の別れを経験したあと、登喜子さんの人生は大きく変わっていきます。
当時はまだ「女性が一人で子どもを育てながら生きていく」ということが難しかった時代。
そんな中で、登喜子さんはどのように生活を立て直そうとしたのか、そして「母としての役割」をどう果たそうとしたのか。
ここでは、清さんの死後から登喜子さんのその後の人生、そして子どもたちとの関係を見ていきます。
夫の急逝と、30歳で未亡人となった登喜子さん
1924年、登喜子さんの夫・清さんは朝日新聞の特派員として中国に赴任中、急病により亡くなります。享年わずか31歳。
登喜子さんは30歳で未亡人となり、5歳の嵩(やなせたかし)とまもなく3歳になる千尋という幼い2人の息子を抱え、生活の激変に直面します。
当時、女性が一人で子どもを育てながら生きていくのはとても厳しく、登喜子さんは文字通り“人生の再出発”を迫られることになります。
自活を目指すも厳しい現実が待っていた
清さんの死後、登喜子さんは次男の千尋を親戚の家に預け、嵩と母・鐵さんと3人で高知市内の家に移り住み、何とか自活しようと努力を重ねます。
和裁、書道、手習い事など、さまざまな技術を身につけようとするものの、経済的にも社会的にも厳しい状況の中では、生活の安定には至りませんでした。
ここに、時代の壁と、「裕福な家の娘」として育った登喜子さんならではの苦悩があったと考えられます。
子どもたちとの別れ――やなせたかし「母との別れ」の記憶
登喜子さんはやがて、息子を親戚のもとへ預けるという決断をします。特に長男の嵩は、小学2年生のときに弟のいる家庭へと移されることになりました。
そのとき、登喜子さんが白いパラソルをさして去っていった姿は、やなせたかしさんの心に深く刻まれます。
この記憶は、のちに彼自身が語る「母との別れ」の象徴的なエピソードとして知られています。
たかしさんは、
「自分は貧乏だと気づいていなかった。それほどまでに母が懸命に守ってくれていた」
と後に語っています。
「もっとずるくなりなさい」――登喜子さんの残した言葉
嵩少年が母と離れる際、登喜子さんは
「お前みたいに真正直だとバカを見る。もっとずるく生きないと」
と語ったといいます。
この言葉を、やなせさんは「自立する道を諦め、自分を守ってくれる男性のもとで生きていくという決断をした母なりの、本当の意味での“強さ”だった」と後年に理解するようになります。
厳しい時代の中で、ひとりの母親がどこまで足掻けたか――それは、単なる「身勝手」ではなく、必死の選択だったのです。
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やなせたかしの母・登喜子の最後と静かな晩年
登喜子さんは再婚を経て、やがて東京で静かな暮らしを送るようになります。
華やかな青春期や波乱に満ちた子育て時代を経たあとの登喜子さんは、どのような思いを胸に晩年を過ごしていたのでしょうか。
ここでは、登喜子さんの最後の暮らしぶりや、晩年における家族との関わりをまとめます。
東京での再婚と「もう一度家庭を築く」という選択
登喜子さんは戦後、東京在住の官僚男性と再婚します。再婚相手にはすでに子どもがいたようで、登喜子さんは彼の家族の中で新しい生活を送ることになりました。
ただし、この再婚も永くは続かず、再び夫に先立たれることになります。
それでも登喜子さんは、夫が残してくれた東京の家にしばらく住み、落ち着いた生活を送っていたと伝えられています。
子どもたちとの「遠くて近い」つながり
息子たちと暮らすことはありませんでしたが、関係が完全に断たれたわけではありません。
やなせたかしさん(嵩)は、学生時代にときどき登喜子さんのもとを訪れていたとされており、母と子の絆は形を変えて続いていました。
また、弟・千尋さんも京都帝国大学に在学中、登喜子さんと交流があり、一緒に写った写真が残されているそうです。
家族として「同じ屋根の下」で暮らすことはなかったとしても、血のつながりや心のつながりは、最後まで細く長く続いていたのでしょう。
誰にも頼らず、田舎でひとり静かに暮らす
晩年の登喜子さんは、東京を離れて田舎に移り、ひとり暮らしを選びます。
子どもたちが自立したのち、誰かと同居することもなく、自分のペースで静かに生活を送ったとされます。その暮らしぶりは決して派手ではありませんでしたが、波乱に満ちた人生の果てにようやくたどり着いた、平穏な日々だったのかもしれません。
世間に知られることのなかった「母・登喜子」の本当の姿
やなせたかしさんが国民的作家として知られるようになっても、登喜子さん自身が世間に注目されることはほとんどありませんでした。
しかし彼女の存在は、たかしさんの人生に深く影響を与えています。
アンパンマンの根底にある「弱い人を助ける力」「誰かのために生きる優しさ」は、幼い日に見た母の背中から受け取ったものだったのかもしれません。
やなせたかしさんの母・登喜子さんの人生は、声高に語られることのない、けれど確かな“母の軌跡”として、今も静かに残っています。
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朝ドラあんぱんでは松嶋菜々子が登美子役
ドラマ『あんぱん』では、柳井崇の母・登美子を松嶋菜々子さんが演じています。
その佇まい、話し方、そして心の奥に複雑な感情を秘めた表情が、多くの視聴者の心に残っているのではないでしょうか。
ここでは、ドラマで描かれた登美子像と、モデルとなった柳瀬登喜子さんの実話との共通点を見ていきます。
自由で気まぐれな母…でもただの“悪母”ではない
劇中の登美子は、どこかつかみどころのない存在として描かれていますよね。
ときに息子を突き放すような発言をし、家を離れてしまう姿は、視聴者によっては「ひどい母親」「理解できない」と感じることもあるでしょう。
しかしその背景には、実話として語られている登喜子さんの「時代に縛られた女性としての苦悩と選択」が重なっています。“普通の母親”でいることが難しかった、そんな時代と環境があったのです。
「白いパラソル」の演出は史実から生まれた
嵩少年が母と別れる場面で、登美子が白いパラソルを差して去っていくシーンは、ドラマの中でも特に印象的です。
実はこの描写は、やなせたかしさん自身が語った実話エピソードをもとにしているといわれています。彼が少年時代に見た“母の後ろ姿”は、生涯忘れられない記憶として語られ、ドラマでもその情景が大切に再現されました。
登喜子さんの生涯を知ると、登美子の見え方が変わる
ドラマでの登美子を「身勝手な母」として見るか、「不器用でも懸命に生きた女性」として見るかは、視聴者それぞれの視点によって分かれるでしょう。
しかし、やなせたかしさんの母の実話の背景を知ることで、彼女の姿に対する理解は深まります。
登喜子さんは、決して冷たいだけの母ではありませんでした。限られた選択肢の中で、自分なりの答えを出し、苦しみながらも人生を進んでいったひとりの女性だったのです。

以上、今回はやなせたかしさんの母・登喜子さんの生涯についてご紹介しました。
ドラマ『あんぱん』に登場する登美子の姿には、史実に基づくエピソードが数多く反映されているようですね。母として、ひとりの女性として、時代の中で懸命に生きた登喜子さんの人生を知ることで、ドラマの見え方も少し変わってくるかもしれません。
ぜひ、史実とドラマを重ねながら『あんぱん』をより深く楽しんでみてください。
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