らんまん

早川逸馬のwiki紹介!モデルは板垣退助?牧野富太郎の自由民権運動への関わりも

2023-04-23

2023年前期の朝ドラ「らんまん」で登場する自由民権運動のリーダー・早川逸馬。

早川逸馬には実在のモデルがいるのでしょうか?

今回は、早川逸馬のwikiプロフィールや、モデルの有無、また牧野富太郎さんの自由民権運動への関わりについてご紹介します。

 

早川逸馬のWikiプロフを紹介!

早川逸馬のモデルは誰?

まずは、らんまんに登場する「早川逸馬」のwikiプロフをご紹介しましょう。

 

早川逸馬は鮮やかな紅色の羽織がトレードマークの自由民権運動の壮士で、政治結社「声明社」のリーダー

ただ騒いでいるだけではない、賢い人物です。

槙野万太郎が自分の進む道に迷った時に「自由」とは何かを言い聞かせます。

 

万太郎のことを気に入り、声明社に誘うことに…。

そして、万太郎をジョン・マンこと中濱万次郎に引き合わせるなど、万太郎の運命を変えることになる重要人物です。

 

らんまんで早川逸馬を演じるのは、宮野真守さん。

らんまんで早川逸馬を演じる宮野真守

宮野真守のプロフィール

  • 1983年6月8日生まれの39歳。
  • 幼少期からテレビの世界に憧れ、小学生で「劇団ひまわり」に所属
  • 小学1年の時に西友のCMでデビュー、「3年B組金八先生」にも出演。
  • その後、声優としてもデビューし、俳優、声優、バラエティ、音楽と幅広く活躍。

宮野真守さんは4月24日放送のらんまん第16話から登場します。

早川逸馬はらんまん第4週から登場!あらすじ紹介

 

早川逸馬のモデルは誰?板垣退助?

さて、らんまんで登場する早川逸馬にはモデルがいるのでしょうか?

 

早川逸馬のモデルは板垣退助?orオリジナル?

高知の自由民権運動といえば、板垣退助を思い浮かべる方も多いでしょう。

モデルは板垣退助?

との考えも浮かびましたが、

らんまんでは、モデルがいる人物の場合は、実名をそのまま、また少し似通った名前を使うことが多いので、板垣退助がそのままモデルという感じではなさそうです。

 

ふたりの年齢差などをチェックしてみましょう。

  • 板垣退助⇒1837年生まれ
  • 牧野富太郎⇒1862年生まれ

らんまんモデルの牧野富太郎さんが20歳前後のとき、板垣退助さんは、50歳近く。

宮野真守さん演じる「早川逸馬」の年齢とは合致していないようですね。

 

とはいえ、らんまんでは、早川逸馬がリーダーを務める政治結社・声明社を支援する、民権ばあさんと呼ばれる「楠野喜江(島崎和歌子さん)」も登場。

 

楠野喜江のモデル「楠瀬 喜多」は、高知県生まれの日本の婦人運動家です。

板垣退助が立ち上げた「立志社」の自由民権運動に参加していたと言われています。

なので、早川逸馬が板垣退助と無関係でもなさそう。

 

というわけで、早川逸馬は、

自由民権運動を引っ張り、政治結社を立ち上げたリーダーである板垣退助をモチーフとして創作されたオリジナルキャラクターといえそうですね。

 

⇒ らんまん楠野喜江のモデルは楠瀬喜多!どんな人?島崎和歌子さん熱演!

 

自由民権運動家「早川権弥」説も?

ちなみに、早川逸馬に名前が似ており、かつ自由民権運動を行っていた実在の人物として、

早川権弥という人物もいます。

 

彼は明治・大正期に長野県で活動をしていた、民権運動家です。

経歴明治15年自由党に加わり、同党の地方担当として党勢拡張に奔走。17年長野の民権家による政府転覆が発覚し(飯田事件)、これに関係したとして検挙された。出獄後も自由民権運動を続け、20年には上京して条約改正反対・地租軽減・言論集会の自由を求めた三大建白運動に参加するが、保安条例によって東京より追放される。その後、郷里に戻って21年に長野県議となり、廃娼などを提言。また、この頃キリスト教に接近し、22年オランダ改革派の宣教師J・H・バラから洗礼を受けた。以後、佐久地方におけるキリスト教の先覚者として活躍し、伝道師・教育者木村熊二を支援して臼田教会の設立に尽力。のち佐久教会の初代長老に選ばれた。31年衆院議員に当選。南佐久郡議や、郷里である前山村長なども務めた。

コトバンクより引用

高知だけでなく日本国各地にも、このような自由民権運動家が存在していたのですね。

もしかしたら、早川権弥さんという方も早川逸馬のモチーフとして参考にされたのかもしれません。

 

牧野富太郎も自由民権運動に参加していた

らんまんでは、主人公の万太郎が、自由民権運動家の早川逸馬と出会い、活動にも参加するというストーリーが描かれています。

実際に、主人公・万太郎のモデル、牧野富太郎さんも20歳頃に自由民権運動に参加していました。

自由民権運動をしていた牧野富太郎

 

「自由は土佐の山間から出る」といわれるほど、板垣退助率いる自由党が盛んだった土佐の地。

牧野富太郎さんは、自叙伝においても

「私も熱心な自由党の一員であった」

と述べています。

 

牧野富太郎さんが参加していた政治結社は「公正社」というグループでした。

  • 「公正社」は、明治14年8月に自由民権運動を唱えつつ学術の研究を進める会として「同盟会」として発足。
  • 明治15年に「同盟会」から「公正社」へ名前を変更
  • 明治17年に目的を単純に学術会とし、「佐川学術会」に変更
  • 明治18年7月に解散

牧野富太郎さんは公正社の副社長だったので、佐川警察署へ出頭したこともあったようです。

参考:高知新聞

 

自由民権運動は、政府の取り締まりなどから徐々に停滞していくことになりますが、

牧野富太郎さんのその後の研究活動に大きく影響したようですね。

 

朝ドラ「らんまん」では、ひょんなことから自由民権運動の政治結社「声明社」に関わっていくことになる万太郎。

どのようにストーリーが展開されるのか楽しみです。

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