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牧野富太郎の実家は酒蔵「岸屋」!現在は?らんまん峰屋のモデルを調査!

2023-04-05

植物学者、牧野富太郎博士をモデルにした朝ドラ「らんまん」が放送されていますね!

牧野富太郎さんの実家も酒蔵を営んでいましたが、どんなところだったのでしょう?

朝ドラらんまんで登場する「峰屋」のモデルとなった牧野富太郎さんの実家(生家)の酒蔵と、その現在についてリサーチしました。

 

牧野富太郎の実家は酒蔵「岸屋」!

朝ドラらんまんのモデルにもなり、今注目を浴びている日本植物学の父・牧野富太郎博士

 

牧野富太郎博士の実家(生家)は佐川の町にある「岸屋」という造り酒屋でした。
(朝ドラらんまんでは「峰屋」となっていますね。)

当時、佐川の町は山内家特待の家老、深尾家の領地。

とても有力だった家老で、教育や商業振興に力を入れていましたが、その要が酒造りだったといいます。

佐川の町は多いときで、9つの酒蔵が集まるほどの日本酒産地となります。

 

牧野富太郎博士の実家「岸屋」もそのひとつ。

牧野家は酒造りと小間物屋を営んでおり、町の中では上流階級の一軒だったのです。

 

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牧野富太郎の実家の現在は?酒蔵はどこ?

牧野富太郎博士の実家の現在についてですが、今は岸屋の跡地に「牧野富太郎ふるさと館」という資料館が建てられています。

 

実家「岸屋」の跡地はふるさと館に

 

牧野富太郎さんの実家「岸屋」は、大正時代当時の牧野博士の生家の写真を手掛かりに、牧野富太郎ふるさと館として再生されました。

外観や意匠はでき得る限り当時を再現し、内部は資料展示室と集会施設として無料で開放されています。

 

この建物は、お酒を売ったりするお客さん対応のスペースのみですが、ほかにも母屋などが立ち並んでいたそうです。

当時の岸屋がどれだけ栄えていたのかがうかがえますね。

 

酒蔵の現在は?

では実際にお酒を造っていた岸屋の酒蔵は現在どうなっているのでしょう?

 

江戸時代から栄えていた岸屋ですが、明治時代には経営が傾き、人手に渡っています。

牧野富太郎は東京で研究を続けていて、実際には従妹の猶と番頭の井上和之助が岸屋の経営を担っていました。

しかし、富太郎への送金のためにつくった借金などで、どうにも立ち行かなくなってしまい、富太郎は岸屋と借金の一切を猶と和之助に任せたのです。

⇒ らんまん竹雄のモデルは2人いる?岸屋番頭の史実をリサーチ!

 

その後も佐川町にあった酒蔵は次々に統合され、そして、最終的に一つにまとまり、岸屋の酒蔵を引き継いだのが、司牡丹酒造です。

 

岸屋の酒蔵があった場所は、ふるさと館から少し離れた所にあります。

 

酒蔵があった建物は老朽化もあり、平成16年の台風により倒壊したそうです。

 

牧野家の酒蔵を引き継いだ司牡丹酒造

牧野富太郎博士の実家「岸屋」の酒蔵を譲り受けた司牡丹酒造。

慶長8年(1603年)に創業した蔵で、当時の屋号を「黒金屋」といいます。

坂本龍馬の本家「才谷屋」と交流があったということでも知られていますね。

 

岸屋の酒蔵の跡地で

司牡丹酒造では、牧野富太郎博士にちなんで命名したお酒「マキノジン」も製造しています。

「マキノジン」は、ボタニカルといわれる12種類の植物を漬け込んだ焼酎を蒸留し、貯蔵熟成させたものです。

そして、「マキノジン」を製造する際に使用する蒸留器がある場所が、岸屋の酒蔵跡地なのだそう!

 

山岡さん:実は、この蒸留器がある場所が「岸家」の酒蔵跡地なんです。長い時を経て、こうして牧野富太郎ゆかりの酒造りがこの場所でできているということは、なんとも不思議なご縁ですね。

牧野富太郎が若かりし頃に勉強し、出入りしていた場所で、「マキノジン」が蒸留されているとは。驚きの事実だ。

引用:四銀ルーム

牧野富太郎博士が出入りしていた酒蔵の跡地は、「マキノジン」の蒸留場所になっていたのですね!

 

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朝ドラらんまんの酒蔵「峰屋」のセットは?

朝ドラらんまんで万太郎の生家となっている「峰屋」のセットは、

  • 佐川町
  • 司牡丹酒造
  • 牧野家の写真

などを参考に作られており、

中でも酒樽が並ぶ作業庭は、「司牡丹酒造」の明治時代の写真を参考に作られているとのこと。

(参照:らんまんNHKドラマガイド

 

朝ドラを通して、牧野富太郎博士の生家であった酒蔵について知ることができそうですね!

これからの展開も楽しみです。

 

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