朝ドラ『風、薫る』第14週「ウソと誠」のあらすじを、各話ごとにまとめました。
放送は2026年6月29日(月)から7月3日(金)までの5日間です。
※この記事にはネタバレがありますのでご注意ください。
朝ドラ|風、薫るのネタバレとあらすじ(第14週)

ツヤを見送ったりんに、仕事でも暮らしの面でも、大きな波が次々と押し寄せます。
看護婦取締の座をおろされ、嘘ばかりつく患者と向き合うことになるりん。
まずは66話から70話まで、一話ずつ流れを追っていきましょう。
風、薫る 第66話のあらすじ|6月29日(月)放送
ツヤがいなくなった寂しさを埋めるように、りんはこれまで以上に仕事へのめり込んでいきます。
そんなりんの様子を、団子屋で会った直美がシマケンに伝えます。
話を聞いたシマケンは、りんに渡してほしいと、あるものを直美に託すのでした。
ところが、りんにはまた新しい試練が待っていました。
見習いのヒデが、看護の道から離れる決心を固めてしまったのです。
風、薫る 第67話のあらすじ|6月30日(火)放送
手塩にかけて育ててきたヒデが去る。
その事実は、りんの胸を深くえぐります。
心配する直美をよそに、りんは仕事で病院に来た虎太郎へ、内に抱えた苦しみをそっと吐き出します。
追い打ちをかけるように、院長・多田から呼び出しが。
そこで告げられたのは、外科の看護婦取締を解く、という事実上の更迭でした。
ヒデの一件の責任を、りんがひとりで背負わされる形だったのです。
「一看護婦として、もう一度ゼロからやり直す」。
そう覚悟を決めて現場に戻ったりんが受け持つことになったのは、一筋縄ではいかない相手でした。
その患者の名は、山本(本田大輔)。
なにかにつけて嘘を並べ、看護婦たちを振り回す厄介な男です。
なぜこの人は、嘘ばかりつくのか。りんは山本と、正面からぶつかっていくことになります。
風、薫る 第68話のあらすじ|7月1日(水)放送
変化は、私生活にも訪れていました。
新しい住まいを決めた美津が、「直美さんも一緒に引っ越さない?」と声をかけます。
りんにも背中を押され、直美の心は行ったり来たり。
そんなところへ、寛太がふらりと一ノ瀬家に姿を見せ、その場の空気をがらりと変えてしまいます。
やがて直美は、美津や環たちとまた一つ屋根の下で暮らすことになります。
風、薫る 第69話のあらすじ|7月2日(木)放送
登場人物それぞれの関係にも、変化の芽が見えはじめます。
団子屋で久しぶりに顔を合わせたりんとシマケン。
近況を語り合う何気ない時間が、傷ついたりんの心をやわらかくほぐしていきます。
同じころ、病院の中庭では、ひょんなことから直美と小川吾郎がふたりで団子をつつくことに。
さらにりんは、手術を控えた山本と、その妻・テイ(伊勢佳世)が交わした「ある約束」を知ることになります。
風、薫る 第70話のあらすじ|7月3日(金)放送
祈るような思いで見守るなか、手術を終えた山本の容態は、まだ油断できない状況でした。
そこへ、妻のテイから病院へ、ひとつの知らせが届きます。
迎えた花火の日。
容態が悪くなっていく山本の口からこぼれたのは、「家に帰りたい」というまっすぐな願いでした。
命の灯が消えようとするその場で、一人の看護婦として、りんはどんな答えを出すのでしょうか。
風、薫る|第14週のあらすじ解説
今週、りんが看護婦取締をおろされる展開には、モデルになった史実があります。
ここでは、史実をもとに今週の物語を見ていきましょう。
りんのモデルは「明治のナイチンゲール」大関和
りんのモチーフは、「明治のナイチンゲール」と呼ばれた大関和(おおぜき・ちか)さんです。
大関和さんが帝大病院でたどった道を知っておくと、今週の話がわかりやすくなります。
大関和さんは、下野国・黒羽藩の家老、大関弾右衛門の次女として生まれました。
家老の家の出という背景を持つ人です。
28歳で桜井女学校附属の看護婦養成所に入り、第一期生として学びます。
1888年(明治21年)に養成所を卒業すると、そのまま帝国大学医科大学第一医院、いまの東大病院で、初代の外科看病婦取締(看護婦長)になりました。
外科のトップにも認められた実力
大関和さんは、仕事のできる人でした。
判断が早く、急なことが起きても落ち着いて動ける。
外科部長の佐藤三吉博士は、大関和さんを医師と同じように扱い、自分の友人だと話していたほどです。就任した当初は、院内の評判もよかったといいます。
看護婦取締を解任された理由
ただ、大関和さんには気になっていることがありました。
自分の下で働く看病婦たちの待遇です。勤務は長く、内容もきつい。
それなのに、賃金は仕事の重さに見合っていませんでした。
事務員や薬剤師が月給で安定して働くなか、看病婦は院内でいちばん立場の弱い扱いだったのです。
そこで大関和さんは、外科部長の佐藤博士に直接、建議書を出します。
看病婦の働きすぎを指摘し、賃金を上げることや、昼夜の二交代制にして休む時間をつくることを提案しました。
ところが、これがうまくいきません。
自分たちを通さずに外科のトップへ意見を出されたことで、医師たちの面子がつぶれてしまったのです。
大関和さんを取締から外すべきだという声が広がり、医局はもめます。
大関和さんを評価していた佐藤博士も、最終的には医師たちの意見を受け入れ、騒ぎをおさめるために大関和さんを取締の役から外しました。
別の理由を挙げる説もあります。大関和さんは熱心なキリスト教の信者で、院内でも布教をしていました。
「仕事はできるけれど、伝道してまわるので困る」。
そんな声が出て、まわりから距離を置かれていったというものです。
どちらにしても、もとにあったのは医師たちとの折り合いの悪さでした。
退職して、新潟で再スタート
頭を下げれば、一看護婦として残る道もあったといわれます。
でも、大関和さんはそうしませんでした。第一医院を辞め、新潟へ移ります。
「ウソと誠」という風薫るの今週のサブタイトルは、自分を曲げなかった大関和さんの選び方とも、どこか重なって見えます。
この退職は、終わりではなく次の始まりでした。
新潟の高田女学校に舎監兼伝道師として赴いた大関和さんは、かつての恩師・瀬尾原始と道で偶然に再会します。
瀬尾が院長を務める知命堂病院に初代看護婦長として迎えられ、看護の教育に取り組みました。
当時はやっていた赤痢には、ナイチンゲールに学んだ衛生管理を徹底して、しっかり成果を出したと伝わっています。
その後、東京に戻った大関和さんは、後輩の育成を続け、『派出看護婦心得』や『実地看護法』といった本も書いています。
やがて大関看護婦会を立ち上げ、日本の看護を前に進めた一人になりました。
取締を外されたあの出来事は、それで終わりではありませんでした。そう知ってから第14週を見ると、現場に戻るりんの姿も、少し違って見えるかもしれません。
参考文献
- 青山誠『大関 和 看護に人生を捧げた日本のナイチンゲール』(角川文庫)
- 田中ひかる『明治のナイチンゲール 大関和物語』(中央公論新社)