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風、薫る

風、薫る|ネタバレとあらすじ第21週「定めと選択」

朝ドラ『風、薫る』第21週のあらすじをまとめました。

放送は8月17日(月)から8月21日(金)までの5日間です。

※この記事にはネタバレがありますのでご注意ください。

朝ドラ|風、薫るのネタバレとあらすじ第21週

朝ドラ風薫るのあらすじとネタバレ

第21週では、りんとシマケンが、報われない日々の先にようやくつかんだ喜びが描かれます。

一方、穏やかな結婚生活を送っていた直美のもとには、思いがけない人物が訪れ、暮らしに新たな波紋が広がっていきます。

島田を支えるりんと、派出看護に励む直美

島田は小説の執筆に専念し、りんは弁当を届けるなどして、島田の暮らしを支えていました。

一方、恵風看護会には、帝都医科大学附属病院の木村が訪れます。

木村が依頼したのは、リウマチを患う宮川佳枝の派出看護でした。

長期的な看護が必要な佳枝の家では、看護婦としての腕だけでなく、家柄や出自も重視されます。

木村は、一ノ瀬家の娘であるりんを、恵風看護会を代表する看護婦に育てようと考えていました。

そのころ直美は、小川との穏やかな結婚生活を送っていました。

直美が子どもの話を口にすると、小川は思わず喜びます。しかし直美は、「もしもの話」だと笑ってごまかすのでした。

島田と虎太郎がぶつけ合う本音

ある日、虎太郎は、りんと島田が楽しそうに話している姿を目にします。

りんの気持ちに気づいた虎太郎は、島田を誘いました。

虎太郎は、りんと一緒になるつもりなら、小説を書くことを諦める覚悟が必要だと迫ります。

しかし島田にとって、小説は簡単に手放せるものではありません。

島田は、虎太郎こそりんに特別な思いを抱いているのではないかと指摘。二人は激しく言い争い、互いの胸の内をさらけ出します。

島田は、小説家として成功したい思いと、りんを幸せにしたい気持ちの間で揺れていました。

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りんが島田に伝えた変わらぬ思い

やがて、島田の小説が新聞に掲載されることになります。

ところが、突如、島田の小説は別の作家のものに差し替えられることに。

自分には才能がないのではないかと追い詰められた島田は、ついに新聞の連載を失ってしまいます

さらに家族の問題まで重なり、島田は小説家としても、一人の人間としても自信をなくしていきました。

 

そんな島田に、りんは、何の肩書も持っていなくても、大切な人であることに変わりはないと伝えます。

りんの言葉に救われた島田は、りんを抱き締めました。

二人はようやく、互いを思う気持ちを確かめ合うのでした。

 

家族を救うため、浜松へ向かう島田

恵風看護会では、身寄りのない平蔵という男性の看護をめぐり、直美が貧しい人にも手を差し伸べようとします。

ところが平蔵は、自分を弱い人間として扱わないでほしいと反発しました。

直美は、看護を必要とする人への寄り添い方を、改めて考えさせられます。

そのころ島田のもとには、家族が再び助けを求めてきました。

父親は戻らず、借金のために店や家まで失うかもしれないといいます。

幼い文朗の姿を見た島田は、家族を支える決意を固めました。

島田はりんに、浜松へ一緒に来てほしいと頼みます。

しかし、りんには恵風看護会の仕事があり、りんの看護を待つ患者たちもいました。

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りんと島田の別れ、そして迫る戦争

りんは島田と一緒にいたいと思いながらも、看護の仕事を捨てることはできません。

そんなりんの気持ちを理解した島田は、二人は一緒に生きられないのだと、別れを告げます

そして、りんの手を多くの人を助けるための手だとたたえ、静かにその手を離しました。

りんは悲しみをこらえ、これまで以上に仕事へ打ち込みます。

 

直美は、島田が突然浜松へ行こうとしたのには、何か事情があったはずだとりんに伝えました。

それでもりんは、自分の手を患者のために使いたいという思いを改めて確認します。

直美もまた、りんの手を強く握り、看護婦として歩み続ける決意を受け止めました。

やがて明治27年の夏、虎太郎は軍の部隊とともに朝鮮へ向かいます。

戦争の足音が近づくなか、りんたち看護婦の運命も、大きく動き始めるのでした。

 

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風、薫る|第21週のあらすじ解説

第21週では、りんと島田の恋が大きく動く一方で、明治時代の派出看護と日清戦争が物語の重要な背景として描かれます。

島田と一緒に浜松へ行くのか、それとも看護婦として働き続けるのか。

りんが迫られた選択には、当時の女性が仕事を持って生きることの難しさも重ねられているようです。

モデル・大関和の歩み

りんが患者の家へ出向いて看護する「派出看護」は、明治時代に広がっていった働き方です。

病院ではなく、患者の自宅に住み込んだり通ったりしながら、身の回りの世話や療養環境の管理を担いました。

りんのモデルの一人とされる大関和も、後に派出看護婦の育成や看護技術の向上に力を注いだ人物です。

大関和は『派出看護婦心得』を著し、病人への接し方だけでなく、病室の整え方や患者の家族への対応、看護婦自身の振る舞いまで細かく示しました。

ただし、大関和が自らの看護婦会を設立するのは1909年です。

そのため、1894年ごろに恵風看護会で活動するりんの姿は、史実をそのまま再現したものではなく、大関和の後半生までを取り入れたドラマ独自の構成と考えられます。

貧しい人への看護が突きつけたもの

直美は、身寄りもお金もない平蔵に手を差し伸べようとします。

しかし平蔵は、助けられるだけの「弱い人間」として見られることに反発しました。

当時の派出看護は、基本的には看護料を支払える家庭から依頼を受ける仕事でした。

一方で、明治期の看護界には、報酬を得る職業としての看護と、困窮者を無償で助ける慈善活動の両方がありました。

大関和も1891年に慈善看護婦会の設立に関わるなど、貧しい人々への看護に取り組んでいます。

ただ、善意であっても、相手を一方的に「かわいそうな人」と決めつけてしまえば、尊厳を傷つけることがあります。

平蔵とのやり取りは、看護とは単に助けることではなく、患者を一人の人間として尊重することなのだと直美に気づかせる場面なのでしょう。

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明治27年、日清戦争で看護婦の役割が拡大

物語の終盤では、時代が1894年(明治27年)へ進み、日本は朝鮮への出兵を開始します。

同年8月に日清戦争が始まると、日本赤十字社は負傷兵の救護活動に乗り出しました。

日本赤十字社では1890年から看護婦の養成が始まっており、日清戦争は、養成された看護婦たちが本格的な戦時救護に参加した最初の大きな戦争となります。

実際に高山盈は、1894年に日本赤十字社の看護婦監督となり、広島の病院で従軍看護婦の責任者を務めました。

高山らの働きは高く評価され、戦後には民間女性として初めて勲章を受けた女性の一人となっています。

ドラマで戦争の気配が近づいてくるのは、りんたちの仕事が家庭での派出看護から、国家規模の戦時救護へ広がっていく転換点を示しているのでしょう。

りんが島田ではなく看護を選んだ意味

島田から浜松へ来てほしいと頼まれたりんは、愛する人と一緒に生きる道ではなく、患者のそばに残る道を選びました。

現代の感覚では、仕事を続けながら結婚する方法もあるように思えます。

しかし明治時代には、女性が結婚後も専門職として働き続けることは、今よりはるかに難しい選択でした。

看護婦という仕事自体も、まだ十分な資格制度が整っていない新しい職業です。

1890年代後半には、専門的な教育を受けていない派出看護婦も増え、看護の質が問題になりました。

大関和はこの状況を憂い、教育や資格制度の整備を訴えます。その動きは、1900年に東京府が制定した看護婦規則へとつながっていきました。

りんが守ろうとした「患者のために使う手」は、単なる自己犠牲ではありません。

それは、看護を女性の奉仕ではなく、一生をかける専門職にしようとする決意でもあったのではないでしょうか。

恋の別れが、看護婦としての新たな出発に

第21週は、りんと島田の恋にひとつの区切りがつく、切ない展開となりましたね。

しかし、二人が別れた理由は、気持ちがなくなったからではありません。

島田は家族を守る道を選び、りんは患者を守る道を選びました。

そして、その先には日清戦争という大きな時代のうねりが待っています。

愛する人と生きることと、自分の使命を生きること

その二つを同時には選べなかったりんの決断が、看護婦としての次の物語を動かしていきそうです。

 

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