朝ドラ『風、薫る』第25週のあらすじをまとめました。
放送は9月14日(月)から9月18日(金)までの5日間です。
※この記事にはネタバレがありますのでご注意ください。
朝ドラ|風、薫るのネタバレとあらすじ第25週

「風、薫る」あらすじ第25週(121話~125話)
121話 ツヤが恵風看護婦会へやって来る(9月14日放送)
直美は新生から、派出看護婦会についての調査報告を聞きます。
そんなある日、帝都医科病院で看病婦として働いていたツヤが、りんたちを訪ねて恵風看護婦会へやって来ます。
新たな出会いをきっかけに、恵風看護婦会にも少しずつ変化が訪れようとしていました。
122話 ツヤの看護婦修業が始まる(9月15日放送)
りんと直美は、ツヤを看護婦として育てようと、看護の知識を教えることにします。
ツヤも一人前の看護婦になるため、虎太郎に薬について質問するなど、必死になって勉強を続けます。
少しずつ知識を身につけていくツヤに、直美は「次はいよいよ実習」だと告げます。
123話 東京府看護婦規則に納得できないりんと直美(9月16日放送)
やがて、東京府看護婦規則ができるという知らせが入ります。
しかし、その内容を知ったりんと直美は、素直に受け入れることができません。
二人は自分たちの思いを伝えるため、柳生に会いに行くことにします。
そんななか、恵風看護婦会には思いもよらない人物から派出看護の依頼が舞い込みます。
124話 看護婦養成所の設立を決意(9月17日放送)
りんと直美は、ある理由から胃がんの手術を受けたシマケンの看護を担当します。
その一方で、セツが自分も看護婦になりたいと希望を口にします。
セツの言葉を聞いたりんと直美は、看護を学びたい人たちを育てる場所が必要なのではないかと考え始めます。
そして二人は、看護婦養成所をつくることを思い立つのでした。
125話 シマケンの容体に不安が広がる(9月18日放送)
りんは再びシマケンのもとへ向かい、懸命に看護を続けます。
しかし、シマケンの体調はなかなか戻りません。
診察をした藤田は、今後の経過によっては命に関わる可能性もあると話します。
看護婦を育てるという新たな目標が見え始める一方で、りんたちは目の前の患者の命と向き合うことになります。
「風、薫る」前週のあらすじ 「風、薫る」最終週のあらすじ
「風、薫る」第25週のあらすじ解説
第25週のテーマは「看護婦を育てる、という新しい役目」です。
ここでは、りんのモデル・大関和さんと直美のモデル・鈴木雅さんが実際に行っていた看護婦養成のしくみ、そして当時の看護婦の資格をめぐる状況を、裏付けの取れた史実にもとづいてたどります。
りんと直美も、かつては学ぶ側だった
大関和さんと鈴木雅さんは明治19年(1886年)、桜井女学校附属看護婦養成所の1期生として入学し、アメリカ人看護婦のアグネス・ヴェッチさんから看護を学びました。
東京看護婦会に設けられた養成のための講習所
鈴木雅さんが設立し、のちに大関和さんが引き継いだ東京看護婦会には、看護婦養成のための講習所が開設されていました。
大関和さん自身も教員となり、そのほかの専任教員や嘱託医師によって、実践的な看護教育が行われていたといわれています。
貧しい女性にも開かれていた「給費生」の枠
この講習所には、貧しい人でも看護婦になれるよう給費生の枠が用意されていました。
経済的な事情に関わらず学べるしくみは、女性が自分の力で生きていく道を開くことにもつながったと伝えられています。
看護婦の資格制度は、産婆より遅れていた
産婆については明治32年(1899年)に全国共通の「産婆規則」が定められ、資格の基準が法律で明文化されていました。
一方、看護婦の資格や業務のあり方を定めた全国共通の「看護婦規則」が施行されたのは、大正4年(1915年)のことです。
りんと直美が生きていたこの時代、看護婦にはまだ産婆のような全国共通の資格制度がありませんでした。
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