朝ドラ『風、薫る』第19週「黎明の翼」のあらすじを、ネタバレありでまとめました。
放送は8月3日(月)から8月7日(金)までの5日間です。
※この記事にはネタバレがありますのでご注意ください。
朝ドラ|風、薫るのネタバレとあらすじ第19週

風、薫る|第19週では、りんが看護婦として新たな一歩を踏み出す姿が描かれます。
黒川からの思いがけない申し出をきっかけに、りんは赤痢の広がる村へと向かい、医療への不信と向き合うことになります。
赤痢が発生した村へ向かうりん
東京へ帰る直美たちと別れ、りんが寮へ戻ると、黒川が待っていました。
黒川は、二時間ほど離れた村で赤痢が発生し、すでに死者も出ていることを説明します。
黒川からの同行の申し出を、りんは一度断ります。
けれど「赤痢の防疫には、りんの知識と経験が必要だ」という言葉を受け、りんは思い直しました。
望月の許可を得たりんは、黒川や黒川病院の看病婦たちとともに村へ向かいます。
しかし、村人たちは避病院を恐れ、看護や医療を受け入れようとしません。
村に着いたりんは、母親を助けてほしいと訴える少年・長太郎と出会います。
長太郎の母・アサを避病院へ
長太郎の家では、母・アサが倒れていました。
赤痢の疑いがあると判断した黒川は、アサを避病院へ運ぼうとします。
しかし長太郎は、母が毒を盛られると思い込み、激しく抵抗しました。
りんたちがアサを運び出すと、村人たちからも「患者に毒を盛っているのではないか」という罵声が浴びせられます。
村の避病院は不潔で薄暗く、医師の田島と看病婦三人が、二十五人もの患者を診ていました。
りんたちは室内に風を入れ、掃除と消毒を徹底します。
りんは看病婦たちに感染対策を教えながら、患者一人ひとりの状態を確認していきました。
直美が避病院に合流
りんと黒川が交代で休息をとっている間にも、患者の容体は悪化していきます。
りんは再び病室へ戻り、看護にあたりました。
看病婦たちは懸命に働いていましたが、感染対策の知識は十分ではありませんでした。
そんななか、東京へ戻ったはずの直美が避病院に現れます。
直美は、東京で開かれた派出看護婦会の活動を終え、りんたちを手伝うために駆けつけたのでした。
りんと直美は力を合わせ、患者の看護にあたります。
直美は不安がる患者たちに声をかけ、りんは看病婦たちへ必要な処置や衛生管理を教えていきました。
母を思う長太郎の声
避病院での懸命な看護によって、患者たちは少しずつ回復に向かいます。
しかし、アサの病状だけは悪化してしまいました。
避病院の周囲に姿を見せるようになっていた長太郎に、直美は母親へ声をかけるよう促します。
長太郎は病室のアサに向かって、大声で励まし続けました。
その声はアサの耳にも届き、アサは涙を流しながら、りんの手を強く握り返します。
その後、アサは快方に向かいました。
直美は、東京で派出看護婦会を開くことになったと、りんに改めて伝えます。
それぞれが選んだ新しい道
赤痢の流行が落ち着くと、黒川はりんに、黒川病院で働くことを再度提案。
黒川は、りんが1年働けば環を高等小学校へ通わせられる賃金を申し出ました。
女学校の生徒たちのことも気にかかるりんでしたが、自分の進む道をあらためて考えます。
やがてりんは、望月に退職を申し出て、看護婦へ戻る決意を固めました。
りんの記事を書いた横沢とも別れ、女学校を去る日には、久とサワが会いに来ます。
りんの姿に影響を受けたふたりは、周囲の目を気にせず、自分のやりたいことや夢を探していきたいと話すのでした。
「風、薫る」前週のあらすじ 「風、薫る」次週のあらすじ
後藤新平の経歴と大関和との関わりを調査!風、薫る・柳生藤次(中村倫也)のモデルか
風、薫る第19週のあらすじ解説
第19週のテーマは「医療への不信と向き合うこと」です。
りんが直面した村人たちの拒絶は、ドラマの創作ではなく、明治という時代が実際に抱えていた課題でもありました。
りんのモデル・大関和さんが挑んだ赤痢の防疫
大関和さんは1891年(明治24年)、新潟県の知命堂病院で看護婦長になりました。
附属の看護婦養成所でも教員を務め、多くの看護婦を育てています。
ちょうどこの頃、全国的に赤痢が大流行していました。
大関和さんは、自分が育てた看護婦たちとともに現場に赴き、徹底して衛生的な環境を整えます。
排せつ物の正しい処理、丁寧な清掃と換気、患者の身体や衣服を清潔に保つこと。
ナイチンゲール方式にもとづいたこうした地道な取り組みによって、死者数は大きく減りました。
この活躍により、大関和さんは防疫の専門家として広く知られるようになります。
第19週でりんが赤痢の村へ向かう場面は、この大関和さんの実際の活動と重なっていますね。
なぜ「避病院」はここまで恐れられたのか
明治時代、伝染病の患者を収容する施設は「避病院」と呼ばれていました。
今でいう感染症指定医療機関にあたりますが、当時は治療よりも隔離が目的で、医療従事者も十分ではありませんでした。
東京の言葉では「避病院(ひびょういん)」が「死病院(しびょういん)」と紛らわしく聞こえてしまうこともあり、こうした呼び方も人々の不安を後押ししたといわれています。
「生き血を取られる」といった根も葉もない噂まで広まり、症状がかなり悪化してから運び込まれるケースも少なくありませんでした。
「生きて帰れる場所ではない」という風評が、さらに人々を避病院から遠ざけていたのです。
赤痢という病気の恐ろしさ
赤痢は、明治時代を通じて何度も大流行を繰り返した感染症です。
特に明治26年(1893年)には1万5000人以上が発症し、3000人以上が命を落としたと記録されています。
コレラと並んで恐れられていた病気で、当時は原因もはっきりわからないまま、多くの人が命を落としていました。
ドラマで村人たちが治療を拒む姿には、こうした時代背景があります。
衛生の知識で人の命を守るということ
大関和さんの功績は、赤痢の現場を救っただけではありません。
清潔にする、換気をする、正しく処理をする。
ひとつひとつは地味に見える行動が、感染症から人の命を守ることを、身をもって示したことにあります。
この経験は、のちに大関和さんが看護婦の教育や資格の整備に力を注いでいく土台にもなっていきました。
風、薫る・第19週で描かれる村での出来事は、りんにとっても大きな転機になりそうです。
参考文献・参考サイト
- 田中ひかる『明治のナイチンゲール 大関和物語』
- 大関和に学ぶ看護師誕生の歴史
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