朝ドラ『風、薫る』第23週のあらすじをまとめました。
放送は8月31日(月)から9月4日(金)までの5日間です。
※この記事にはネタバレがありますのでご注意ください。
朝ドラ|風、薫るのネタバレとあらすじ第23週

日露戦争を経て、看護婦という仕事が広く知られるようになった時代。
そんな中、捨松が恵風看護婦会を訪れ、りんと直美にこれからの看護の未来を託したいと語ります。
期待を胸に、二人は看護婦として懸命に働き続けます。
ところが、それから4年。
各地に派出看護婦会が次々と誕生する一方で、看護婦会をめぐる良くない評判も聞かれるようになっていました。
看護婦という仕事が広がっていく中、りんと直美は新たな問題と向き合うことになります。
「風、薫る」前週のあらすじ 「風、薫る」次週のあらすじ
風、薫る|第23週のあらすじ解説
第23週のテーマは「看護婦という仕事の広がりと、そこに生まれたひずみ」です。
日露戦争を経て看護婦の存在が世の中に知られるようになった、
その一方で、資格を持たないまま看護婦を名乗る人も増え、看護婦会をめぐる評判は決して良いものばかりではありませんでした。
ここでは、りんのモデル・大関和さんと直美のモデル・鈴木雅さん、そして捨松のモデル・大山捨松さんの史実をたどりながら、この週の背景を見ていきます。
大山捨松さんが目指した「日本の看護婦養成」
大山捨松さんは、アメリカ留学中にニューヘイブン病院で2か月間、看護の実地講習を受けました。
帰国後は明治18年(1885年)に有志共立東京病院看護婦教育所の設立に携わり、日本にも看護婦を育てる仕組みが必要だと考えて動いていました。
篤志看護婦人会の発起人にも名を連ねており、次の世代に看護の未来を託したいという思いは、捨松さん自身の生き方に重なるものです。
鈴木雅さんから大関和さんへ受け継がれた志
直美のモデルとなった鈴木雅さんは、明治24年(1891年)に本郷で「慈善看護婦会」を立ち上げ、これが日本初の派出看護婦会になったといわれています。
明治26年(1893年)には「東京看護婦会」と改称し、明治29年(1896年)には、りんのモデルとなる大関和さんが会頭に就任しました。
明治33年(1900年)ごろには、雅さんは運営を大関和さんに託して表舞台を退いており、二人の間で仕事を受け継いでいく関係があったことがわかります。
派出看護婦会が全国に広がった明治30年代
鈴木雅さんが始めた派出看護婦会のしくみは評判を呼び、明治30年代にかけて各地に同じような看護婦会が次々と誕生しました。
ただし、その多くは十分な教育を受けないまま看護婦を名乗るだけの組織だったとも伝えられています。
仕事の広がりと、質の伴わない組織の増加が同時に進んでいったことが、この時代の特徴でした。
明治33年の「看護婦規則」と、看護婦たちを傷つけた評判
明治33年(1900年)、東京府は「看護婦規則」を制定し、看護婦の業務や資格を明文化しました。
ただしこの規則には、看護婦を「不当な報酬をむさぼり求める者」といった見方で語る一文も含まれていたといわれています。
しっかり訓練を受けてきた看護婦にとって、こうした一括りの評価は誇りを傷つけるものであり、看護婦会をめぐる「良くない評判」の一因になったと考えられます。
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